暮理独楽@わふー電脳遊戯録

暮理独楽の遊んでいるコンピュータゲームのあれこれを書き散らしていくブログです。

#東亰ザナドゥ 考察#04 倉敷栞(シオリ)③

お久しぶりにございます――ばかり言ってるなあ…… _(:3」∠)_

さておき、東亰ザナドゥの考察記事です。


この作品、最大の疑念

なんだかこのペースだと、いつ言えるかわからないので(苦笑)。
先にこれを投げかけてしまいましょう。

わたしの思う、この作品最大の疑念です。

シオリちゃんのしたかったことが中核にあるこの作品。その願いとは、「世界を(少なくとも日本全域)杜宮と同じようにすること」です。
この願いを、異界化した杜宮の状況を世界あるいは日本すべてに広げようとしている、とアスカなどは考えて、戦闘と相成った訳ですが……しかしこの願いは、

好きにさせてしまえば、結果として問題なかった

のではないか   と言う疑念なのです。
コウの言う「齟齬や矛盾なんかどうにかして……」は本当に、しかも容易く出来たかもしれない、と。

何故こんな疑念が生まれたのかと言うと。まず前提として確認しておきたいのが、

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「倉敷栞は生きているとする外界との齟齬」
これこそが、物語の「元凶」(だからシオリちゃんの存在そのものは「発端」に過ぎません)だと言うことです。

そしてシオリの言う「杜宮と同じにしてしまう」と言うことの意味とは、本当は「倉敷栞は生きている」と言うことを、遍く世界で事実とすることですよね。
さてここで、シオリの想いが成り、世界すべてで「倉敷栞は生きている」となったとしましょう。
そうなった場合、それが元々は「嘘」であれ、それで塗りつぶされた世界では当然のことながら、それが「真実」に変わって ・・ ・・・・・しまいます。

……ここのどこに齟齬や矛盾があるのでしょうか?

故に、その願いがかなったその時、異界化を引き起こした元凶そのものが消滅・・・・・・・・・してしまい、異界化は沈静化してしまうのではないか、と考えたのです。

また、日本のみに効果がとどまったとしても、杜宮との齟齬で「日本に与える矛盾」と「世界に与える矛盾」の差ってどれだけでしょう? もちろんのこと、実際にはシオリちゃんが「生きているか亡くなっているか」での因果の差は、果てしなく大きいものでしょう。
しかし、チアキやマイなどの態度を見るに外界への影響も少なからず有していて、そうであれば、世界の歴史の主軸は恐ろしいことに「シオリが生きていること前提で成立している」のです。
それならばこの状況下、杜宮周辺、あるいは日本における齟齬と、世界全体における齟齬、どちらが大きく、どれだけの差があるかと考えると……
その場合も「多少、異界化現象が多くなる」程度で収まるようになり、やはり一時的に大規模な異界化は鎮静してしまいます。アスカやミツキなどは忙しくなるでしょうが(笑)。

懸念はジュンの存在ですが……まあ、猶予を持ってはくれることでしょう。
実際に「ある程度どうにかしてしまった」実績ができますから。
そしてさらに、シオリには10年もの間「そうと知らぬまま、されど意識下で《夕闇(亜神)》を制御下に置いてしまっていた」と言う、ちょっと半端じゃない実績がありますし。

また、エピローグで、お稲荷さまの起こした「奇蹟」、「矛盾のまったくない復活」とは何か。
それは、シオリの願い、まんま肉まんそのものでしょう。
すなわち、世界すべてで「倉敷栞は生きている」とした因果の改変です。

結局のところ、《夕闇の使徒》と《お稲荷さま》、両者ともに「おんなじことをやっている」に過ぎないはずなのです。


――では④で――