暮理独楽@わふー電脳遊戯録

暮理独楽の遊んでいるコンピュータゲームのあれこれを書き散らしていくブログです。

#東亰ザナドゥ 考察#02 世界観② キズナと導力波

東亰ザナドゥの考察記事です。



さて、①から引き続いての考察です。
そして、世界観考察チャプターで最大の項目があります。

戦後から異界事件の頻度が急増したのは人口爆発の影響。

ゲーム中、アスカは「戦後間もなく異界関連の事件が確認された」と言っています。実際には、説明不可能な未解決事件などはずっと過去から起きていますし、知らなかったことと言うよりは、「はっきりと認知」できる「明確な急増」を意味していると考えられます。
世界観①で、異界や怪異とは、人間の欲望がもとになっている存在と述べました。
仮説通りならば、人間の数が急増したら、異界事件の件数が跳ね上がるのは必然と言えるでしょう。

導力波とは、ひとの「キズナの切望」から生まれた、一種の怪異。

この仮説についてはちょっと苦しい……と言うより、ほぼ「当たらずとも遠からず」であると思っているのですが、漠然としたあやふやな考えに近いので、なかなか明確な文章にしづらいのです。……難しい。

東亰ザナドゥの世界では、導力波が電波に代わって利用されるようになっています。そしてこの導力波をフルに活用するため《ゾディアック》が開発した携帯情報端末が「サイフォン」です。この名称はまあ、「iPhone」のもじりではあるのですが……それだけではないはずです。
「サイフォン」とはおそらく、「PSY Phone」ではないかと思います――こころとこころとを繋ぐ携帯情報端末――だと。
CM「アナタと繋がる、ホクトのサイフォン」。

アスカなどは、このサイフォンを魔術(?)の発動媒体として使っていますし、『ソウルデヴァイス』は基本的にサイフォン内部に取り込まれて保存されています。これらは当然、導力をフルに活用しているからこその機能でしょうから、こうしたこころと直結した能力を秘めるサイフォンが利用する導力波とは、こころのちからを強く持っていると推測されます。
そしてこのちからは、おそらくは「怪異《導力波》」とでも呼べるような存在のちからなのではないか、と考えたのです。異界や怪異の利用を旨とする、《ゾディアック》の面目躍如です。
ですがこの存在のちからは、推測するに5Sグリムグリードを凌ぎかねない存在かも知れません。《夕闇ノ使徒》をも超えるような、この上には《神》しかいないような大怪異なのでは、と。
なにしろ導力波は既に東亰ザナドゥの世界を席巻していて、地域別の疎密(=人口密度)はありますが(だから導力波塔が必要)あまねくそのちからが利用できるようになっています。つまり怪異《導力波》は、世界すべてを覆い尽くすような、「現実世界そのものへの侵食」をしているのです。

では「怪異《導力波》」とは何者なのか。
「どんな欲」がもとになって生まれ、なぜ世界中にちからを及ぼすほどに強くなったのか、です。
おそらく導力波は、「ひととひととの繋がり=キズナ」を切望する感情から生まれています。しかし、この段階では世界中に存在することはできても、希薄すぎて「ちからを利用」できるほど顕在化できるわけがないと思います。
では、何がトリガーとなって「この怪異」のちからを強めたのか。
わたしは、それは「携帯電話」の登場と普及、および「インターネット」の登場と普及、なのではないかと思います。この普及によって、それまでとは比較にならないほどに、ひととひととの距離は近づきました。それにより、それまで個々人のコミュニティのみに限定されていたキズナの想いが、世界中の人間に共有されるようになります。そして個々人のコミュニティのキズナもそれぞれ共鳴し広がっていきます。そうして、どんどんと「束ねられたキズナと想い」が、世界規模で存在する大怪異《導力波》を生み出した……そう考えています。

だからこそ《導力波》は、ひととの通信や、ひとの想いの保存(ソウルデヴァイスの格納!)などのちからを持っているのです。
そうすると各自が持つサイフォン内部には、導力を通じて、各自のキズナと想いのちからが籠もっていることになるわけですが……。

さて話は飛びますが、最終話に入ってから、物語の発端の影響で世界にからシオリという存在が、どんどん希薄になっていく演出があります。
そしてエピローグにまで至ると、コウとその仲間たちのような「ちからある者」を除いた、リョウタやシオリの両親を含めた全員から、シオリに関する記憶が消えてしまいます。
それにとどまらず、最終話の時点でも既に、シオリの家にあるアルバムや、コウの所有するシオリの写真からも、シオリの姿が完全に消滅しています。
本来あったはずの世界、「倉敷栞が10年前に死去した」世界に戻ろうとしているためですが、ありとあらゆるメディアからシオリの名残が消えていくなかで、唯一、破損をしながらもメディア内部に残り続けた、シオリに関するデータがあります。それは――

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「コウのサイフォン内における、シオリの項目(NiARのフレンドで破損状態を閲覧可能)」

――です。ではなぜ、ここにだけシオリの名残があるのか。
それは、「コウ」が所有する「サイフォン」の記録データであるからに他ならないと思うのです。
それが「コウのもの」であることは大前提ですが、サイフォンの記録ではない写真からは、コウのものであってもシオリの姿は消滅しているので、これらとは何が異なるのかと言えば「導力を通したデータであるかどうか」です。
前述の通り、仮説どおりならば、各自のサイフォンには「キズナのちから」が籠もっているはずです。そしてコウとシオリを結びつけるキズナは、その消滅後ですらも切れません。シオリ本人の「状態」が「良好ではない」のでやや破損をしているのですが、故にこそ単なる『ストレージデータ』としてでなく、サイフォンの導力を通じたキズナの『記憶』」が残っている……そう解釈しています。
リョウタの方には残っていない理由は、リョウタが「ちからある者」でないからでしょう。なにぶん記憶が消えてしまっては、さすがにキズナは寸断されてしまいますし。
いちおう、リョウタもコウ同様にシオリとは幼馴染みなので、とことん問い詰めれば「シオリの存在」は思い出すでしょうが……「えっと、10年前に震災で亡くなった、あの幼馴染みの子だよな」って回答が返ってきてしまうはずです。


――長くなりすぎたので、③へ続く、とします――
kuri50htn.hateblo.jp