暮理独楽@わふー電脳遊戯録

暮理独楽の遊んでいるコンピュータゲームのあれこれを書き散らしていくブログです。

#東亰ザナドゥ 考察#02 世界観① 欲と理想と神と

では、東亰ザナドゥの考察をしようと思います。(※改訂版です)


大前提(ネタバレ)

ラストボスは「シオリちゃん」です。――表ボスではありますが。

何故コレを言ってしまうかというと、これが前提にないとストーリーの考察が不可能だからです。
それにまぁ、もうぶっちゃけちゃってもいいんじゃないかな? とも思ったりしますので。
PS4移植も出ましたが、それももうそこそこ前の話で、いい加減みんなエンディング見てますよね?
という(・・;)。

……考察を進めます。
まずは、世界観について考えて、いくつかの仮定を挙げてみることにします。
確度が高いと思われる事柄については、それを前提として以降の考察を続けます。

異界(ザナドゥ)と怪異(グリード)は人間の欲望が集積して具現化したもの。

ゲーム中で語られますが、異界はザナドゥ(XANADU)と呼ばれていますが、それは怪異うごめく迷宮のかたちで出現します。しかしこの言葉は本来「理想郷」だとか「桃源郷」だとかのことです。
そして、迷宮でうごめく怪異の名=グリード(GREED)とは、七つの大罪として有名なそのひとつ、「強欲」のことです。そして、一般名詞としては、これは普通に「欲望」と訳されます。

では「欲望」とは何か――と言うことを考えてみます。
いきなり哲学的になりましたが、とりあえずは単純に「飯がくいたい」「眠い」「えっちしたい」「お金が欲しい」「旅行に行きたい」「偉くなりたい」……そういった想いのことと考えます。

ゲーム中、異界(ザナドゥ)と怪異(グリード)を呼んでしまう想いたちがあります。チアキの「ソラのような素質が欲しい」、ユウキの「僕はひとりで生きていける」、アキヒロの「カズマとシオに対する依存」、リオンの「死にたくない」、ゴロウの「フタバを死なせた怪異への怒り」――
嫉妬だったり、怒りだったり、愛情だったり、執着だったり……これらはみな、多少かたちを変えてはいても、間違いなく欲望です。
アスカは「異界とは人間の負の想念が引き寄せるモノ」だと解説しますが、これは確かに真理でしょうが、ミスリードでもあるだろうと思います。わたしはこの事実はその一面でしかないと考えます。

例えばチアキの嫉妬は「挫折した向上心」そのものであって、「向上心」もまた、欲望です。もっと強く、もっと賢く、もっと高潔に。これが欲望でなくて、何だと言うのでしょう。
「誰かのちからに『なりたい』」「誰かを『護りたい』」――一般的にこれは正の想念であり、「理想」と呼ばれるものを含みます。
ならば、そういう理想もまた欲望……だと言う結論を導くことができます。こうして見ると、正負ともに人間の抱く想いとは欲であることが多く、だからこそ「人間は欲のいきもの」だと呼ばれるのでしょう。
そしてきっと、そういった種類の「欲望」からも「異界」や「怪異」は生まれる
アスカのキャラクタープロフィール④でコウと共にアスカが垣間見た、文字通りの美しい「桃源郷」である異界――。
f:id:kuri50htn:20190204201505j:plain
「理想郷」「桃源郷」。それは、それまで負の想念が生んだ異界にしか接してこれなかったアスカの知らない、異界の持つもうひとつの側面。正の想念が生み出した異界なのです。

そして、「理想」が「理想郷」を生む……もしそうであるならば――
――そう、この世界では本当に、「願いは翼にかわる(WISH☆WING)」のです。

余談ですが……。
冒頭の「七つの大罪」とはどういうものだろうか。それは「傲慢」「嫉妬」「色欲」「怠惰」「飽食」「憤怒」(順不同)――そして「強欲」だと言います。しかしわたしは、「強欲」以外の6つは「強欲」に内包されてしまうのではないか、などと考えています。
「自分は偉い(そう在りたい)」「あいつが羨ましい(あいつのようになりたい)」「えっちなことがしたい」「何にもしたくない」「もっと食べたい」「許さない、壊してやる(やりたい)」――と。

神さまなど、超越的な存在もまた、怪異。

ゲーム中登場する、人智を超えた存在たち。
「迷夢ノ魔女」、「絶架ノ熾天使」、そして「夕闇ノ使徒」。《夕闇ノ使徒》に至っては、因果を操り、街ひとつを外界から完全に閉ざし、かつて東京を壊滅させた大災害の元凶――神にも等しい存在です。
そしてさらに、神そのものである《九尾ノ白獣》、俗に言うお稲荷さままでもが登場します。
さて、ゲーム中アスカは、強力な怪異は、「現実世界に顕現し」、「現実世界そのものへの侵食」を引き起こす、と述べています。
そしてこの性質、それは、そっくりそのまま「神」にも当てはまってしまうのです。
そう、「神」は「降臨」と呼ばれる「現実世界への顕現」をし、「奇蹟」と呼ばれる「現実世界そのものへの侵食」を起こすのです。
また、幕間におけるレムの行動から、少なくとも「お稲荷さま」については怪異と類似した存在であると、示唆されています。
f:id:kuri50htn:20190204195632j:plain
レムは「お稲荷さま」の「ちからの一部を借り」て「異界を生んだ」うえ、しかも「怪異をも生み出し」ます。であるならば、お稲荷さまは異界の住人のちからを備えていると推測できます。
また、エピローグに於いて「お稲荷さま」は、ゲートを生み出してコウたちを誘い、《夕闇ノ使徒》と同様『因果の書き換え』をおこないます。しかも、全世界という規模で。
(まったく矛盾のない「正真正銘の復活」とは、世界すべてに於いて「倉敷栞は生きている」とする「因果の改変」に他ありません)

ところで「神」とは何か?
学術的には「人間を超越した存在を切望する感情の象徴」だと言われています。
(そのときの)人間にはいかんともし難い自然現象。予測もつかない厄災や奇蹟などの偶然。それらが起こる「理由付け」をする。例えば「超越者のせい」にするのです。
例えば、長雨による大災害。例えば、建物を壊して回るような落雷。例えば、病気の蔓延による大量死。例えば、飢饉。例えば――
それは「超越者が起こしたもの」であって、「理由のわからない、得体の知れないモノ」ではないのです。何故そうしたのかは、それこそ《神》のみぞ知る。
ですが、そこにもやはり理由を求めるのが人間で、だから「人間(支配層)の腐敗や傲慢への懲罰」であるとか、陥れられて落命した人物による「祟り」だとか。
やるせない、理不尽だ、そんな想いを「超越者」に恨みや怒りを転嫁して、または「課せられた試練」であるとして自己欺瞞することで、いずれにせよ諦めとともに受け容れる。
そうして生まれたものが神であり宗教であるのだとすれば、それを「切望」するのは、純然たる欲望でしょう。
f:id:kuri50htn:20190205174508j:plain
そして、だからこそ、怪異リストの解説で、祈りによって生まれた怪異にこんな説明書きが書かれている(信仰で生まれたものについても大同小異)のではないか、と。

何度でも言いますが、東亰ザナドゥの世界では欲望が異界と怪異とを生みだします――
そうして生まれた「それ」は、実在を果たすことで人間の信仰をより集め、それにより「それ」はちからを増します。
「それ」が強いちからを持つことで、「それ」はますます信仰を集め、ちからを増し――そしてそのうち、「それ」は人間の信じる「神」そのものになってしまう。
そう考えると、この世界に於ける「神」とは人間の創造物と言えるでしょう。

――ともすれば、われわれの現実世界の神もまた、同様に人間の創造物であるかもしれません。もしも「それ」が「空想」ではなく、実在しているのだと、したら。


――では②へ続きます――
kuri50htn.hateblo.jp